少し前のノート(from 2023 April)

少し前のこのノートを読んでた
1,2年前くらい
なんだか眩しかった
その時も今と同じように孤独と自責と自意識過剰なこの感じは同じだったのだろうけど、当時には周りに関わる人と環境があった、だからこそあんなに必死に悩んでいろんなことを考えていた
でもいまは?
ほとんどなんの集団にも属していないし 関わることもない
そりゃそうすれば恥をかくこともないし 場に馴染めないことに苛まれることもないだろうけど
でも 無なんだ
何も生まれない 何も生まない 苦しまないから 考えようとも思わない
どっちのほうがいいだろうか どっちのほうがいいだろうか?

思えば ちょうど一年前だった サークルも大方仕事が終わって いかなくなった いけなくなった?
そのあたりで寮を出ることも決めた
直接的な原因は部屋の人間のあれだったことにしたけど、実際はいろいろ積み重なってきたものだった
休学した ひと学年下がることになった それで誰も知らなくなった

そのどれ一つを取ったって、自分なりに精一杯いろいろと考えて、一番いいと思うことをしたはずだ、だから間違っていたなんて断罪はできない あのころは大転換期だった そんな感覚があった ここから変わるんだ ここが一区切りだ ここからだ そんな感覚があった

結果としてそのころに一人になった あらゆる集団から一人になった でもそれは正しかったんだろうか?

一年後のこの今だ
誰とも関わらない いや関われない
やっぱり間違っていたのかもしれないと思う
どんな思いがあったにせよ、毎日の生活の中でほとんどだれと関わることもないなんていうのは、やっぱり間違ってる

恥をかくかも 見苦しいかも ごめんなさい
でもやっぱり人と関わりにいかないとだめだと思う なんでってうまく説明できないかもしれないけど、だめだと思う それは この現状が 一番良く説明してる
つらい思いをするかも でもその中で色々考えられる
ひとりだと だれとも接することもないと 考える切っかけもない だから無なんだ 思い返したときに 何もそこにはないんだ

いまは 昔の幻影を そのときにかろうじて掴んだ、努力の結晶を もはやまったく今の君には不釣りあいなのに ボロカスのボロ布にしてまで 見苦しくまとってる そんな姿だから
そんなんでいいはずない いいはずないのだ