なんていうのかなあ、それは嫌なタイプの人生経験を積んだおかげなんだ

それでだんだんと気づくようになる。はじめはこんなに周りの何もかもがつまらないのは文字通り、周りの何もかもがつまらないからだって思う。きっと環境が変わって、周りの人たちも変わって、好きなことをする時間があって、お金があって。遠くに行ってみたり、素敵な人が現れたり‥‥‥つまり自分以外の全てが違う場所に行けば、このつまらない毎日は解決されるんだって単純に考えるんだ。悪いのはまわりで、こんなつまらない場所は俺の居場所じゃない。でもたとえば大学に入って時間ができる、バイトをすればお金も入る。それでその考えていたことをいろいろと実行してみようとする。実行しないまでも、実行してみようと考える。自分ではどうにもできないこともあるけど、巡り合わせで、運よくそういう状況に立ち会えることもある。だけどそこで気づくんだ。びっくりする。いや、何となくわかっていた。全然楽しくないんだ。みんなの輪に入れない。いいかい、こういうのは連鎖するんだ。うまくやる奴にはうまくできることが回ってくる。うまくできない奴に巡ってくるのはつらいことばかり。状況はただ厳しくなる、そんなことの連続だと肌で感じる。ここでいつしか視点は切り替わるようになる。問題があるのは、つまりつまらないのは、周りではなくて自分なんじゃないかってことを、おぼろげながらに認めざるをえなくなる。だって、思っていた状況が叶っても、結局自分のつまらなさゆえに、なにもかもつまらないのだからね。いいかい、これはマイナス思考になったというわけではないんだよ。認識が正しい方にシフトしたんだ。それは必ずしも悪いことではない。でもどうしたことだろう、自分は実は初めから、原理的に登れない落とし穴に落ちていたとずっと後になってから知らされるようなものだ。だからね、自分を変えるしかないんだよ。ありふれた言葉で吐き気がしてくるかい。まあまあ、少し落ち着いてくれよ。いいかい、君は原理的に登れない落とし穴の中にいるんだ。変えるっていうのは、この穴を登れば全部解決するっていう認識を変えるってことなんだ。穴は登れない、となったら、この穴の中でどうにかましに暮らすしかない。たとえばその術を考えてみる。変えるっていうのはそういうことだ。落ち着いて周りを見回してみると、同じように穴の中にいるらしい奴らがいるのがわかる。しかもそれにも、今の君みたいに無気力で死んだ目をしている奴らと、案外平気そうにしている奴らがいるのに気づく。ほんとうに、どっちもいるんだぜ。まあまあ、そんなに嫌な顔をするなよ。