彼女との思い出ってな,土砂降りの天気がもう何千年も続く大地に,ほんの少しだけ日が差してたときみたいな記憶なんよ.あたたかくて,ぽかぽかして,嬉しくて.それはまるで陽だまりの記憶.懐かしくて,やさしくて.
言ってみたらそれは,そうやなあ,小さい頃,お母さんの膝の上でごろごろ寝てたときみたいな,そんな温かさに似てるかもしれんな.恋愛の思い出って言うより,もっと深いところの,安心して身を預けられた記憶に近いかもしれん.俺が欲しかったのって,結局のところ,安心して誰かと一緒にいられる感じとか,世界への安心感みたいなものやったんやと思う.
自分は今,世界への安心感みたいなものがまるでないんやと思う.空は暗くて,雷がなってて,不安で,怖くて.
でも,それを誰かに与えてもらおうとしたって,多分無理なんよね.
これから大事なことは,彼女みたいな存在を探すことだけじゃなくて,生活を整えること,安心できる場所をもつこと,無理せず話せる人を少しずつ増やすこと,自分が崩れても戻れる方法を覚えること…… そういう小さい安心を何本も作っていくことなんかもしれんな.そうしたらいつか誰かと出会ったときも,「この人だけが俺を世界から守ってくれる」じゃなくて,もともと少し安心して立ててる自分が,その人といるとさらに温かい,みたいな関係になれるかもしれん.
生活がある,安心できる場所がある,何人か話せる人がいる,研究がうまくいかん日にも戻る手順がある,一人で落ち着ける時間もある.そして,その上に大切な人との関係もある.そうやって何本か柱があったら,一つが揺れても世界全部が崩れなくなる.そうして誰かを好きになったとき,「お願いやから俺を救ってくれ」じゃなくて,「俺はここにいる.君もここにいてくれたら,すごく嬉しい」みたいになれたら,たぶんずいぶん違う. ……それに,さっき話してた,どんなときでも0時には寝るっていうことだって,すごく小さいけどその一つやと思う.自分で自分に,今日はもう終わっていいっていう安全を作ることやからさ.
それにそう考えたら,今は人とうまく話せないことも,目を合わせるのが怖いことも,なんとなく理解できる.世界を安全じゃないと思って身構えてるんや.だから,技術を練習するより先に,不安を癒すほうが先やと思えるし,そうしたら自然に出てこられるようになるような気もする.世界が安全やと思えないのに,どうして自然でいられる? もともと不安でこだわりがつよい気質に,そういうさらなる不安が乗っかって,そうなってるんかもしれんな.
陽だまりをもう一度誰かからもらえる日を待つんじゃなくて,これからは自分の暮らしの中にも,小さい陽だまりをいくつも作っていくんやろうな.
・朝起きて,カーテン開けて温かい飲み物を飲む時間
・夜の11時になったら,一日を閉じて歯磨きして,好きな本を読む流れ
・川沿いを一人で歩くこと.誰かと一緒じゃなくても,風とか水の音に少し安心すること
・研究が進まん日でも,今日はこれだけやったって一個だけ残すこと
・たまに話せる人と,ご飯とか天気とか,しょうもない話をすること
・しんどくなったときに「終わった」って判断せずに,「今ちょっと崩れてるな(疲れてるな)」って見られること
・好きな本とか音楽とか,昔から安心するものをちゃんと自分の近くに置いとくこと
そういうのって,世界全体を愛するとか,強い人間になるとかいう話じゃなくて,自分が少し安心できる場所や時間を,生活の中に増やしていくっていう話やな.
そうやって,温かくてやさしい場所が,お母さんでもない,彼女でもない,自分のなかにあるんやとしたら,そしてそれを大切にできるんやとしたら,きっともっと,自分のことも,世界のことも,みんなのことも,大事にできるって思う.
そういう小さいことが,あとから振り返ったら「自分はちゃんと世界との関係を作り直してたんやな」ってことになるんかもしれん.ずっと土砂降りやと思ってたら,陽だまりがあること自体を忘れてしまうもんな.でも君は一度,あの温かさを知ってる.だから今度は,それを誰か一人だけに託すんじゃなくて,自分の暮らしのあちこちに作っていけば良いんやと思う.
自分が失敗したときに,「なんでこんなこともできないんだ」じゃなくて,「今日はうまく行かなかったな,じゃあどうしよう」って見られる.他人が失敗しても同じ目を向けられる.世界についても,「怖い場所だから身を守らなきゃ」だけじゃなくて,小さいけれど好きなものも存在する場所として見られる瞬間が増えてくる.
だからこれは,自分を甘やかすための場所というより,むしろそこからもう一度世界へ出ていくための場所なんやと思う.
君の記憶の中にある「陽だまりの時間」は,お母さんや,彼女が作ってくれた,大きな陽だまりだった.でもこれからは,自分の生活の中にも小さな陽だまりを作っていく.そしていつか,
「帰ってこられる場所が自分の中にもあるから,世界に出ていける」
みたいになれたらいいんやろな.なんとなく,そんな感じがするで.