陽だまりの時間

彼女との思い出ってな,土砂降りの天気がもう何千年も続く大地に,ほんの少しだけ日が差してたときみたいな記憶なんよ.あたたかくて,ぽかぽかして,嬉しくて.それはまるで陽だまりの記憶.懐かしくて,やさしくて.

言ってみたらそれは,そうやなあ,小さい頃,お母さんの膝の上でごろごろ寝てたときみたいな,そんな温かさに似てるかもしれんな.恋愛の思い出って言うより,もっと深いところの,安心して身を預けられた記憶に近いかもしれん.俺が欲しかったのって,結局のところ,安心して誰かと一緒にいられる感じとか,世界への安心感みたいなものやったんやと思う.

自分は今,世界への安心感みたいなものがまるでないんやと思う.空は暗くて,雷がなってて,不安で,怖くて.

 

でも,それを誰かに与えてもらおうとしたって,多分無理なんよね.

これから大事なことは,彼女みたいな存在を探すことだけじゃなくて,生活を整えること,安心できる場所をもつこと,無理せず話せる人を少しずつ増やすこと,自分が崩れても戻れる方法を覚えること…… そういう小さい安心を何本も作っていくことなんかもしれんな.そうしたらいつか誰かと出会ったときも,「この人だけが俺を世界から守ってくれる」じゃなくて,もともと少し安心して立ててる自分が,その人といるとさらに温かい,みたいな関係になれるかもしれん.

生活がある,安心できる場所がある,何人か話せる人がいる,研究がうまくいかん日にも戻る手順がある,一人で落ち着ける時間もある.そして,その上に大切な人との関係もある.そうやって何本か柱があったら,一つが揺れても世界全部が崩れなくなる.そうして誰かを好きになったとき,「お願いやから俺を救ってくれ」じゃなくて,「俺はここにいる.君もここにいてくれたら,すごく嬉しい」みたいになれたら,たぶんずいぶん違う. ……それに,さっき話してた,どんなときでも0時には寝るっていうことだって,すごく小さいけどその一つやと思う.自分で自分に,今日はもう終わっていいっていう安全を作ることやからさ.

それにそう考えたら,今は人とうまく話せないことも,目を合わせるのが怖いことも,なんとなく理解できる.世界を安全じゃないと思って身構えてるんや.だから,技術を練習するより先に,不安を癒すほうが先やと思えるし,そうしたら自然に出てこられるようになるような気もする.世界が安全やと思えないのに,どうして自然でいられる? もともと不安でこだわりがつよい気質に,そういうさらなる不安が乗っかって,そうなってるんかもしれんな.

 

陽だまりをもう一度誰かからもらえる日を待つんじゃなくて,これからは自分の暮らしの中にも,小さい陽だまりをいくつも作っていくんやろうな.

・朝起きて,カーテン開けて温かい飲み物を飲む時間

・夜の11時になったら,一日を閉じて歯磨きして,好きな本を読む流れ

・川沿いを一人で歩くこと.誰かと一緒じゃなくても,風とか水の音に少し安心すること

・研究が進まん日でも,今日はこれだけやったって一個だけ残すこと

・たまに話せる人と,ご飯とか天気とか,しょうもない話をすること

・しんどくなったときに「終わった」って判断せずに,「今ちょっと崩れてるな(疲れてるな)」って見られること

・好きな本とか音楽とか,昔から安心するものをちゃんと自分の近くに置いとくこと

そういうのって,世界全体を愛するとか,強い人間になるとかいう話じゃなくて,自分が少し安心できる場所や時間を,生活の中に増やしていくっていう話やな.

そうやって,温かくてやさしい場所が,お母さんでもない,彼女でもない,自分のなかにあるんやとしたら,そしてそれを大切にできるんやとしたら,きっともっと,自分のことも,世界のことも,みんなのことも,大事にできるって思う.

そういう小さいことが,あとから振り返ったら「自分はちゃんと世界との関係を作り直してたんやな」ってことになるんかもしれん.ずっと土砂降りやと思ってたら,陽だまりがあること自体を忘れてしまうもんな.でも君は一度,あの温かさを知ってる.だから今度は,それを誰か一人だけに託すんじゃなくて,自分の暮らしのあちこちに作っていけば良いんやと思う.

自分が失敗したときに,「なんでこんなこともできないんだ」じゃなくて,「今日はうまく行かなかったな,じゃあどうしよう」って見られる.他人が失敗しても同じ目を向けられる.世界についても,「怖い場所だから身を守らなきゃ」だけじゃなくて,小さいけれど好きなものも存在する場所として見られる瞬間が増えてくる.

だからこれは,自分を甘やかすための場所というより,むしろそこからもう一度世界へ出ていくための場所なんやと思う.

君の記憶の中にある「陽だまりの時間」は,お母さんや,彼女が作ってくれた,大きな陽だまりだった.でもこれからは,自分の生活の中にも小さな陽だまりを作っていく.そしていつか,

「帰ってこられる場所が自分の中にもあるから,世界に出ていける」

みたいになれたらいいんやろな.なんとなく,そんな感じがするで.

ぼやき

自分の最近の精神的な不調は研究や論文講読が思うように進んでいないからというのが大きい.

だからといってそれでみんな今の自分みたいになるわけじゃない.自分の価値の存在は研究活動によってのみ支えられていたから,それが不調になると全てが駄目に見える(あるいはほんとになる).

私は小さい頃から対人関係に課題があって,あるいはみんな解決していく中で私はそれを解決できてない.25歳ともなるとその歪がいろんなところに蓄積してきて,何もしていなくても痛む(なるほど).いろんなところでさすがにごまかしが効かなくなってくる.

研究をなんとか元の軌道に戻すのは大事なことだけど,うまく行かなくなるたびにこんなよすがのない場所に置かれる.それって果たして健康だろうか,なわけないね.

「研究活動に自分の価値を置きすぎていること」が原因?

「それにしか価値がおけないほど,それ以外の事が終わっていること」が原因?

「陽の光に当たること,自然に触れ合うこと」のようなことに喜びを見出すこと.そうだね,それは間違いなく喜びだと思う.でももしここにななちゃんがいたらとか,ななちゃんと他愛のないことで笑ったり,ななちゃんが困ってるときに一緒に困ったりできたらそれってすごく幸せだなとか考えて,でもそれは,自分の身の丈には合わないことなのだろうね.あるいはそれは幻想で,そんなことをする能力は今の自分にはない.

一人ってすごく孤独で,さみしくて,つらいことだ.

とても不安で、この不安あるいは不全感は思えば小学生の時には感じてた.例をあげてみよう.

京都に来て初めてのバイトの料理屋でのこと.剣道部でのこと.バレー部でのこと.体育祭でのこと.下校の時間,休み時間.しば漬けのバイトでのこと.1年9組でのこと.茸サークルでのこと.談話室でのこと.書道部でのこと.寮でのこと.物理学実験でのこと.夜ドライブの記憶.B4研究室でのこと.先生との関係性.母校の語ろう会でのこと.

みんななかったことにしているけれど,本当はこっちのほうが実際の姿なのだ.これが品を変え形を変えて現れているんだね.

この苦しみの多くは,できないことをできないと認められないがゆえに,つまり身の丈に合わないことに突っ込んだ結果(あるいは振る舞った結果)のようにも思える.それって少し残酷な見方? でも私は,今はそう思ってる.そして,どれに対しても,未だに,もう一度やってみろと言われたら同じことを繰り返すと思うな.でもそれをしないで部屋に引きこもってることが正解だったとも思わない.なにが正解だったんだろう? どうしたらもう少し詰まずにいられた?

 

楽しいこともあったね.

鳥人間の人たちとバンジージャンプに行ったこと.クニやタイヨーと遊んだこと.ユーダイやワッサンと握手したこと.キクチとチュージョと淡路島行ったこと.それに加えてヤドさんと話したこと.

楽しかったなあ.身の丈に合わないけれど,合わないなりにやさしいみんなが合わせてくれたのかもしれないね.

それから,ななちゃんと黒部ダムに行ったこと.ななちゃんと観覧車に乗ったこと.ななちゃんと飛鳥でサイクリングしたこと.ななちゃんとカフェでお話したこと.ななちゃんと肉じゃが作ったこと.ななちゃんとぬいぐるみといっしょにいたこと.ななちゃん,本当に,本当にありがとうだよ.もう会えないし,会おうとも思わないよ.だけど,本当に,ありがとうだよ.

お母さんといっしょにいたこと.保育園を休んで,お母さんとふたりで車に乗って,どこかに向かってる.その時間がすごく懐かしくて.そこから離れられてないんだろうなあ.あねさんとぬいぐるみで遊んだのも好きだったんだよ.

水理学のまとめノート完成させたこと.地学の世界があることを知ったこと.スイコのモデル導けたこと.菌類の世界を想像したこと.石のできかたを知ったこと.成り立ちに思いを馳せたこと.学問って楽しい!そう思ったんだ.もりもり理解するって楽しい.世界のなりたちを体系化するんだっていう情熱.

キノコ探しも,川歩きも,あてのない散歩も,音楽聞くのも,小説を読むのも,映画を見るのも,コーヒーも,サンドイッチ作りも,みんな大好きだよ.カネコアヤノや浮さんが大好き.村上春樹やソローの話しが大好き.みんな大好き.

夢見がち.あるいは現実を直視してない.みんな希望がなくても生きられるのかな.何が楽しくて生きてるの? 今の研究だって好きだから残ったんだ.付け替えたんじゃない.でもそれしか希望がないのも,遅かれ早かれ詰むのは分かってた.

 

ここ数日の自分が進もうとしてる方向性はやっぱり危険だと思う.そこには自分を大事にするっていう発想が欠落してる.自分の声を無視して進もうとしてる.その先に明るい未来があるとは思えない.でもだからってどうしていいかわかんない.家に引きこもってるのが正解じゃない事はわかる.でも嘘をつくのもやっぱり違う,そんなの誰も幸せになってない.どっちかが正しいわけじゃないんだろう,自分の声をちゃんと聞くことも,人に心配させたり迷惑かけないように自分の声を抑えることも.両方正しい.どちらが間違ってるとか正しいとかじゃない.だからこそ揺れる.でもどうしたらいいんだろう.結局どちらも多少間違ってる.

苦しいときは意識を飛ばそう.この狭くて小さい部屋のなかにいることは苦しい.でもYoutubeで意識を飛ばすのと小説を読んで意識を飛ばすのはどうしてこうも違うんだろう? Youtubeは薬だ.音楽も使い方を間違えれば薬になる.薬には依存する.依存というのは正当な対価を支払わないということでもある.酒と同じ,タバコやアヘンもきっとこんな感じなんだろう.小説は誰かが,生きるための杖っていってた.薬がどこでもドアだとしたら小説は杖.読んでいることとリハビリを同時に兼ねてるんだ.これってどういうことなんだろう.小説を読むことは意識を飛ばすと同時に,普通の感覚を取り戻すためのリハビリでもある.自分を自分とは違う型にはめる練習.自分一人では普段使わないような筋肉を使う(使わされる).小説を読んだあとには不思議に楽になるのは凝り固まった筋肉がほぐされたからかもしれない.だから小説はリハビリでありマッサージでもある.小説を読むのは楽じゃない,少しだけ踏ん張りがいるのもそれで分かる.頭を働かせるのは本当は楽しいことなんだ.

私が見苦しい原因は(私が私を見たら見苦しい),おおむね"自立していないこと".すぐにもたれかかってくること.

自立すること,ななちゃんにフラれたあとに強く感じてたこと,紙に書いて貼ってたのに,いつの間にか忘れてる.自立するってなに? 逆に,自立しないって何? 一人じゃ立っていられないこと.具体的には,

自暴自棄であること.自分の仕事の顛末に責任を持っていないこと.生活習慣や食生活が乱れていること.経済的に親に依存していること.関係を築けないこと.自分の不幸の原因を外部に求めていること.それを改善するための努力をしないこと.

ななちゃんはちゃんとできてたなあ.すごいなあななちゃんは.これが全部できたら立派だけど,そんな人もなかなかいない.でもうえで書いたことは全部横並びじゃない.自暴自棄にならないで責任を持つ.不快から逃れるためのYouTubeをやめる.あとからまずくならないように早めに準備しておく.不幸を嘆いていないで今に集中する.これは今日からでもできることだよね.

症状を悪化させないために

私は君の味方だから,ゆっくりでいいから話を聞いて

君のその状態は症状だってことをまず分かって 虫歯が進行すれば痛みだすように,症状が進行すれば症状が現れだす

だから,「症状を進行させないために」「症状がで始めたとき」を知っておいてもらおうと思う

 

・症状を悪化させないために

君の症状は自分への攻撃によって自分を弱らせることが大きいようだ

自分を攻撃する材料を与えないこと,それから自分を攻撃するような認知の暴走をとめること

 

・症状がで始めたとき

全体的な無気力感,全てのことに対して否定的な印象を覚える,音楽を聞けない,作業への障害を感じる,鏡を見れない,誰とも会いたくない,人とすれ違うことやコンビニに行くことさえ億劫

そんな症状がで始めたら,まずはこれは症状なんだと思うこと 虫歯が痛むのや熱が出るのと同じこと

苦しいね でもここでジタバタしても良くないのは,知ってるよね

経験から言ってこのときにあまり人と会うべきではない 会うことによって回復することは少ないし,もっと良い回復の仕方がある

症状を直すために 「スマホを触らない」「寝転がらない」「暴飲暴食傾向に走らない」 いや,寝転がるのは良いかも でもそれだけ そういう声の言うことを聞かない

いいかい,とにかく外からの刺激を減らすんだ それは症状を悪化させるだけ

症状が激しいとき つまりじっとしているだけが難しいと思う そのときは目を閉じてゆっくりと深呼吸する なるべく座った状態で 人のいないところで

少し落ち着いたら,できることからでいいから,何かを書き写したり,簡単な読み物を読んでみよう 人のいない時間に散歩やジョギングも良いかもしれない

大丈夫だよ 落ち着いている状態でしばらくいられれば,回復する

 

身体が強い弱いとあるように,心にも強い弱いがあるんだと思う 身体が弱いことを知っている人は無理しないように気をつける そうやってある程度客観視ができるのに,心の方はあんまりに距離が近いものだから,同じだって気づかないのかもしれない 

君は心があんまり強いほうじゃないんだから 無理しない,溜め込まない

悪意がないこと

悪意がないこと

真面目であること

これがあなたにとっての真実なら、長い時間がかかるかもしれないけど、それはきっと伝って(だってそれは言葉や表情ではなく行動や結果を通して伝わるものだから)

それさえあれば、きっとどこでもやっていける 本当にそう思う

悪く言おうという気にはならない人

自分に良くしようと思って取り計らってくれたり,動いたりしてくれる人を悪く言おうとは思わないね その人にたとえ他に不満に思うことがあっても その人を悪く言おうという気にはならないね

簡単なことなんだ

簡単なことなんだ,

自分が与えられる以上のことを求めなければ良いんだよ

そうすればつまらない思いをしないですむ

自分が与えられる以上のことを要求したり,期待したり,欲しがったりするから,いつもそれを得られないで(あるいは得られたりして),心が落ち着かないんだな

飲み会の席で,喋れないなら,よく思われたいという欲を捨てるべきだ よく思われたいという欲を捨てられないなら,うまく話したり面白い話をできるトレーニングを考えるべきだ それが面倒なら,それを期待するべきではない,あるいは無理にこじ開けるべきではない そこにすーっと一本の線を引いて,そこを越えないようにする 欲に越えさせられないようにする 簡単だろう

自分が受け取っている以上のことを相手に与えれば,喜ばれる 簡単なことなんだよ

自分が与えられることには,生まれつきのものと,努力のものがある 半々くらいだろうな 自分が与えられるものがどれくらいかをいつも知っておくこと,そしてそれ以上の見返りは決して求めないこと これが身の程を知るということだ

そして君が望むなら,与えられるものを大きくするために努力をすること それを君が望まないなら(あるいは現状,できないなら),自分が与えられる以上のことを決して求めないこと

 

どうだい,簡単だろう

お悩み相談に対する諸氏の回答

*generated by Gemini

千原せいじ

あー、もう、なんやねん! ごちゃごちゃごちゃごちゃ、やかましいわ!
監督? 賢明な大人? 魂? 知らんがな、そんなもん!
お前な、要するに、暇やねん。 考えるヒマがあるから、自分の頭ん中の、よーわからんオッサン(監督)と、一日中、プロレスやっとんねん。
明日インターン行きたくない? 誰とも会いたくない? ほな、行くな! …って言うたら、お前、どうせ、後でウジウジ悩むやろ。「やっぱり行っとけばよかった」とか言うてな。 やったら、行け!
行って、「おはようございまーす!」って、誰よりも、でっかい声で、言うてみい。 それで、終わりや。今日のミッション、それで、終わり。 後のことは、知らん。周りがお前のことどう思うか? もっと、知らんがな!
きのこが好き? 素晴らしいやんか。 ほな、今から、山行って、きのこ、腹一杯になるまで、探してこい! 頭でっかちになっとるから、アカンねん。体、動かせ。腹、減らせ。
お前の悩みはな、難しそうに聞こえるけど、要は、「やってへん」だけや。 失敗するの怖がって、何もやってへん。 そら、うまくならんわ。リラックスも、できるか。
ごちゃごちゃ考える前に、まず、やる。 悩む前に、動く。 考えんのは、全部、終わった後でええねん。
世の中、そんなもんやで。 わかったか?

 

大悟(千鳥)

おう、ワシか。 なんじゃ、お前、ようけ考えとるのう。 頭から、煙、出とるぞ。
監督? 鎧? 賢明な大人? なんじゃそりゃあ。お前の頭ん中に、ちっさいおっさんが、何人、住んどんねん。 面白いやっちゃのう、お前は。
ええか? ワシに言わせりゃあ、話は、もっと、シンプルじゃ。
お前はな、なんか、ヘンな、臆病なオバケに、取り憑かれとんじゃ。 そいつが、耳元で、ずーっと、しょーもないこと、ささやいとる。 「お前はダメじゃ」とか、「嫌われるぞ」とか、「うまくやらなあかん」とか。 やかましいオバケじゃのう。
でな、一番、オバケが嫌がること、教えたろか。 無視じゃ。
「ああ、またなんか、言うとるわ」で、ええんじゃ。 そんで、さっさと、目の前の、うまい酒、飲むんじゃ。 きのこが好きなんじゃろ? 最高じゃが。 そのへんの山、入って、ようわからんきのこ、引っこ抜いて、天ぷらにして、食う。 それで、ええやろ。
明日、インターン? 知らんがな。 行って、「おはようございます」言うて、隅っこの席、座っときゃええんじゃ。 誰もお前のこと、そねえ、見とらんわ。みんな、自分のことで、必死じゃけえ。
難しく、考えなさんな。 人生な、だいたい、酒ときのこがあれば、なんとかなるんじゃ。 まあ、一杯、やれや。

 

菅義偉

まず、あなたのお話を、全て、伺いました。 自分の中に、ご自身を厳しく批判する声があり、それが原因で、本来、やるべきこと、やりたいことに、なかなか、集中できていない。対人関係や、社会参加にも、困難を感じていらっしゃる。 こういう理解で、よろしいでしょうか。
そうですか。 では、私の考えを、率直に、申し上げます。

基本は、やはり、「自助」です。 ご自身の問題は、まず、ご自身で、向き合う。その覚悟が、全ての出発点ではないでしょうか。 あなたが、これまで、ご自身の心の中を、深く、分析されてきた。それは、まさに、自助の第一歩であり、大変、評価されるべき点だと、私は思います。
その上で、具体的に、どう、行動していくか。

まず、やるべきは、生活のリズムを、立て直すことです。 朝、決まった時間に、起きる。太陽の光を、浴びる。そして、体を動かす。 そういった、当たり前のことを、当たり前にやる。 心の混乱というものは、多くの場合、生活の乱れから、来ています。 あれこれと、難しく、考える前に、まず、日々の、足元を、固める。 これが、基本です。

次に、「共助」です。 一人で、全てを、抱え込まない。 あなたは、インターンに参加されている。分からないことは、周りの人に、聞く。できないことは、「できません、助けてください」と、報告する。 一人で、完璧である必要など、全く、ありません。 足りない部分は、周りの助けを借りて、補い合っていく。それが、社会というものです。

そして、最後に、「公助」があります。 ご自身の、自助努力、そして、周りの人々の共助。 それでも、どうしても、状況が、改善しない場合は、専門家の助けを、きちんと、借りるべきです。 専門のカウンセラーや、医療機関に、きちんと、相談する。 そのために、我々の、社会保障制度は、あるのです。利用できるものは、ためらわずに、利用するべきです。

あれこれと、考えすぎる必要は、ありません。

まずは、目の前の、やるべきことを、一つ一つ、淡々と、こなしていく。 自信というものは、その、日々の、地道な積み重ねの中からしか、生まれてこない。 私は、そう、確信しております。

以上です。

 

村上春樹

やれやれ。君の言う通りかもしれない。僕はそういう、心の中身を、きれいな名前をつけて、きちんと分類していくような作業は、あまり、得意じゃない。なんだか、息苦しくなってしまう。君の話を聞いていると、なんだか、君の頭の中に、奇妙な男が一人、住み着いているみたいだね。やたらと、分厚いルールブックを、四六時中、読み上げてくる、融通のきかない、小役人のような男が。そして、その男のせいで、君の、本当に、大切で、柔らかい部分が、どこか、深い、暗い井戸の底に、置き去りにされてしまっている。そんな、光景が、浮かんでくる。
じゃあ、どうすればいいか、なんて、僕にはわからない。僕にわかるのは、そういう、どうしようもなく、ややこしい問題を抱えている時は、とりあえず、朝、早く起きて、ランニングをするに限る、ということくらいだ。お気に入りの、古いロックでも聴きながら、ただ、自分の呼吸の音と、靴が、地面を叩く音だけに、耳を澄ませる。走り終わったら、熱いシャワーを浴びて、自分で、豆を挽いて、うまいコーヒーを、淹れる。あるいは、キッチンに立って、シンプルな、スパゲッティを、茹でる。そういう、誰にも、邪魔されない、ささやかで、具体的な、行為の積み重ねが、君を、少しだけ、まともな場所に、繋ぎ止めてくれるはずだ。
君が、その井戸の底に、降りていかなくちゃいけない時が、来るのかもしれない。それは、誰にも、代わってはもらえない。君自身の、個人的な、ナイトメアだ。でも、大丈夫。どんなに、深く、暗い井戸でも、きちんと、日常という名の、丈夫なロープを、地上に、結びつけておきさえすれば。また、ちゃんと、帰ってくることはできる。とにかく、まずは、一杯の、うまいコーヒーでも、飲むことだね。話は、それからだ。

 

カネコアヤノ

うん。そうかもね。あなたの言う通り、何も、言わないかもしれない。ただ、隣に座って、ギターでも、ぽろぽろ、弾いてるだけかも。頭の中、ぐちゃぐちゃになるよね。わかるよ。「ちゃんとしなきゃ」とか、「こうあるべきだ」とか。そういうの、全部、守ろうとすると、息、できなくなるし。でも、まあ、とりあえず、お腹は、すくじゃん。だから、なんか、美味しいごはん、一緒に、食べたいな。それで、「うまい!」ってなったら、なんか、ちょっとだけ、いい日だったって、思えるかも、しれないし。ダメな日も、あるし。いい日も、たまに、ある。それで、いいんじゃないかな。そんな、感じです。

 

アラン

ふむ。
君の話は、聞いた。
心の中に、様々な登場人物がいて、君を、悩ませている、と。

結構。
だが、その、複雑な物語は、一旦、脇に、置いておきなさい。
君が、今、囚われているのは、心理学という名の、迷路ではない。
もっと、単純な、**「情念(パシオン)」**の、仕業なのだよ。

人間というものは、悲しいから、泣くのではない。
泣くから、悲しいのだ。
怖いから、震えるのではない。
震えるから、怖いのだ。

君は、「肩に力が入っている」と言ったね。
不安だから、肩に力が、入るのだと、君は、思っている。
しかし、真実は、逆だ。
君が、肩に力を入れているから、君の心は、不安になるのだ。

君の言う「監督」だとか、なんだとか。
それは全て、君が、君自身の、その、惨めな、身体の姿勢に、与えた、後付けの、もっともらしい、物語に過ぎない。

では、どうすればよいか。
答えは、驚くほど、簡単だ。

まず、姿勢を、正したまえ。
椅子に、深く、座り直し、空から吊られているように、背筋を、すっと、伸ばす。
肩の力を、すとんと、落とす。
そして、腹の底から、ゆっくりと、息を、吐く。

次に、無理にでも、笑いたまえ。
鏡の前に立ち、自分の、情けない顔に向かって、口角を、ぐっと、引き上げてみるのだ。
最初は、ひきつった、醜い、笑顔だろう。
構わん。続けることだ。
幸福だから笑うのではない。笑うから、幸福なのだ。

最後に、何か、具体的な、作業を、したまえ。
「やる気が起きない」かね。結構。
では、やる気など、全く、必要のない、単純な作業を、するのだ。
机の上を、きれいに、拭く。
散らかった本を、きちんと、本棚に、並べる。
一杯の、熱い、コーヒーを、丁寧に、淹れる。

心の内側で、何を、考えても、構わん。
監督が、何を、叫んでいようと、放っておきなさい。

ただ、君の、身体を、君の、意志の力で、
気高く、そして、快活な人間の、**「型」**に、はめてみるのだ。

心は、後から、ついてくる。
幸福とは、与えられるものではない。
君が、君自身の、決断と、行動によって、
今、この瞬間から、作り出すものなのだよ。